屋根から尾根へ〜縦走への挑戦〜 www.yaneone.com
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プロローグ

<95年、全山縦走敢えなく敗退>
 大学に入り念願だった「大雪縦走」を果たす事ができた。しかしそれに飽き足らず、「大雪の次はアルプスだ」と思い、日本アルプスでの縦走計画を練り始めた。最終的には南アルプスの方向となったが、その内容はまさしく南アルプス全山縦走そのものだった。一方、大学の方はほとんどすべての授業に出席した。それでも成績はさっぱりで、卒業への目処が全く立たない状態であることには変わらなかった。相変わらず「病膏肓」ならぬ「山居膏肓に入る」状態でしたから。それでも「(自分の行きたかった大学の)大学院を目指すぞ!」とか、「今年入れてあと3年で卒業を目指すぞ!」等と思って気を高めようとはしたが、山が中心ではどうにもならなかった。例え山をすべてやめ、すべてを勉強に打ち込んだなら、大学院進学を果たすなどそれ相応の結果がなければ意味がない。つまりただ大学を出てそのまま就職したのでは意味がないと思った。

 しかしその翌年は全く生彩がなくなった。それでもカメラや登山用具、更にはゴアライトの2・3人用(1.6kg)までも揃えた。用具は揃っても体と心が揃わなきゃどうにもならない。これまでになく太り、生活リズムも狂った。「山の会」をリードした頃には考えられなかった事で、サークルにも顔を出さなくなった。山にもほとんど行かなくなってしまった。そんな中でも計画した南アルプスには行こうと思った。だがこんな状態では全山縦走など実現できるはずはなかった。7月下旬、夏休みが始まってすぐに出発、まずは縦走の前に大菩薩嶺を往復した。そしていざ南アルプスへ、夜叉神峠登山口からの最初の登りでもひいひい言いながらで、縦走初日は夜叉神峠で泊った。翌日の出発も遅く、鳳凰三山・早川尾根を越えるのに3日間かかった。おまけに栗沢山から仙水峠へ下る所を北沢峠方面に誤って下りてしまい、疲労困憊で気力はダウン。結局甲斐駒ヶ岳さえも登らず、北沢峠に下りた所で断念してしまった。その縦走の途中、太ってひいひい言いながら進む私を見て「三伏峠で北と南に分けて縦走した方がいいんじゃないか」と言った人がいた位だった。その後は気を取り直して朝日連峰縦走を中心とする南東北山行を行った。当初は朝日連峰を先に行って、吾妻連峰・安達太良連峰・蔵王山とを周る予定だったが、悪天候のため結局朝日連峰を最後にした。ペースはいささかゆっくりながらも無事に行う事ができた。その後は徐々に体も心も整え、大学の勉強の状態も良くしようとはした。

<97年、満を持して全山縦走に挑戦したが・・・・・>
 ’96年になり、前年と比べて状態は良くなったもの、まだまだと言える状態だった。より授業に出て取り組む様になったもの、今一つぱっとしなかった。その一方、南アルプス南部の交通の便が図れることがわかり、逆コースで計画を立てた。だが全山縦走挑戦は時期尚早と判断、挑戦を見送った。代わりに行ったのが、奥秩父主脈縦走であった。東は雲取山から西は瑞牆山まで駆け抜けるもので、前年と比べて復調の兆しは見えてきたといっていい内容ではあった。頑張りが利くようになった。しかしこの年に行った山行はこれだけでしかなかった。この年に万全のコンディションを整え、全山縦走に挑戦できたならきっと達成していただろう。
 ’97年春になった。この1年間頑張って進級して卒業への目処を付けるしかない。私は授業にも実験にもこれまでになく打ち込む様にして出た。ここで進級できなければ気力がなくなって卒業できなくなるのは間違いない。体の方も整い、潰瘍の症状が治まってきた。そして体重が一番太っていた頃と比べて約25kg減り、高校時代並みに戻ったのだ。山の方は忙しくてなかなか行けなかったが、大学入学した年に登って以来の姫神山に久々に登った。夏休み、いや南ア全山縦走1週間前に演習山行として岩手山八幡平縦走を行った。2泊3日で、金曜日は午前中で授業が終わったので午後に出発した。地の利をうまく使った縦走といえ、又、長らくやりそびれた縦走の一つであり、ようやくであった。’92年にサークルで行って以来であった。4年に進級すると卒研で忙しくなり、山もほとんど行けないと思い、この夏がすべてだと思った。したがって、南ア全山縦走の他に特に行きたい山にもできるだけ行こうと思い計画した所、屋久島を始めとする南九州と、北海道の北日高と芦別岳にも行くという、総旅程1ヶ月近くとなるものだった。名付けて「’97 夏の陣 スーパー山旅」とした。

 夏休みに入ってすぐに出発し、南ア全山縦走に取りかかった。しかも縦走初日が梅雨明けで、’95年とは違い、鳳凰三山・早川尾根を快調に飛ばし、甲斐駒往復の後に仙丈岳から仙塩尾根をたどり、ようやく念願の北岳に立った。ここでは天気は最高で、富士山を始めとする大パノラマを楽しめた。だが、縦走達成の雲行きが台風情報によって怪しくなったのだった。それでも間ノ岳・農鳥岳を登り、塩見岳を経て縦走中間点の三伏峠まで来た。ついに台風接近、大荒れとなり、しかも台風の進度が遅く、しばらく悪天が続きそうな模様だった。一般に梅雨明け10日は天候が安定するといわれるだけにこの台風は想定外で、梅雨明け10日所か1週間以内で天気が崩れたこの様に嘆くしかなかった。結局縦走を開始して7日目で三伏峠からエスケープし、全山縦走を残念な事に断念してしまった。それでも三伏峠を境に北半分をやった事となり、南半分をやれば全山登った事になるが、私は全山縦走をもう一度最初からやり直し、文字通り「全山縦走」としたかった。’95年に言われたあの言葉が頭に残り、その通りになって欲しくない、いや絶対ならない様にしてやると思った。単独縦走の限界に挑戦すべく、いつかは再挑戦してみたいと思い続けた。その後の屋久島・北日高の山行・縦走も無事に終え、「’97 夏の陣 スーパー山旅」は幕を閉じた。

<98年、最終学年にして全山縦走に再挑戦>
 そして前期試験に向けて勉強し、充分な単位を獲得した。後期に入り、更に単位取得・4年進級に向けての取り組みは白熱した。そしてついに後期試験を受けて進級に必要単位をもぎ取る事ができた。春休み期間中にある1ヶ月以上に及ぶ研修を受け、ついに研修発表を終え、私は4年進級を果たし、研究室配属となった。やっと卒業の目途がついたのであった。しかし明るい材料ばかりではなかった。道内では前年の暮れに拓銀が破綻し、就職戦線が一層厳しいものとなった。特に留年をしてきている自分にとっては更に厳しく、その上道内大学でないとなれば尚更だった。現実的に一番いいと言えるのは首都圏や東北・岩手からの学内に来る求人だった。それに学卒ともなれば目指せれる職種もほとんど工場関係であった。それしかなく、道内は無理だからやめろとまで言われた。

 一方、体の方はできるだけトレーニングして調整し続けた。残念ながら前年の時に比べて10kg近く増えてしまった。それでできる限り太らないようにした。もし山ができるなら北アルプスの立山連峰〜笠ヶ岳か大雪縦断(十勝連峰〜表大雪)の縦走をやろうと思っていた。7月1日、研究室の夏休み日程の目処がついた。2週間程ある事がわかり、即「南アルプス全山縦走を再挑戦するしかない」と思った。少しずつ南ア全山縦走の準備を進めていった。7月19日・20日には青森の岩木山・八甲田山に演習山行を兼ねて行った。近くにある岩手山は火山活動のために登山禁止となっていたからでもあった。研究室の中間発表会も終わり、ようやく夏休みに入った。大学時代最後の夏を全山縦走で締めるべく、そして単独縦走と自分の体力の限界に挑戦すべく、これまでにないビッグなスケールで南アルプスの北から南までも闊歩するのだった・・・・・。





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