屋根から尾根へ〜縦走への挑戦〜 www.yaneone.com
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感想

 全山縦走・有終の美、これに尽きるだろう。自身の単独縦走としてはこれまでにない規模のものであり、これまでならせいぜい1週間だったがこれは10泊11日と10日を越えてしまった。大雪単独縦走を達成して以来、より大きな単独縦走を求めてきた。その結果、北アルプスであり南アルプスにおける壮大な単独縦走の計画が挙がり、行われるという当然の流れであった。単独縦走の限界に、そして自分の体力の限界にも挑戦する。この様な観点からも、南アルプス縦断縦走は全山縦走でないと意味がないと思ったのである。三伏峠を境に北部・南部と分けたのでは意義が薄れる訳で、あくまでも全山縦走にこだわり抜いた。

 それにしても計画が立ってから達成されるまで大学卒業同様時間がかかり過ぎた。それも自身の体の調整という問題が大きかった。何せ太ったら痩せるのが大変だ。それに太ると体の調子がおかしくなり、(相対)体力も落ちる。それを如実に現していたのが’95年初めて南アルプスに入った時だった。鳳凰三山・早川尾根を越えるのに3日もかかっている。それもひいひい言いながらである。それから’97年まで頑張って25kgも落とし、満を持して臨んだ。今度は台風の襲来であった。これは予想外の異常気象であったもの、折角のチャンスが台無しとなった。運が悪いといってしまえばそれまでだが、努力で運を超える事を示したかった。大学時代の最後にようやくであった。

 体の方はできるだけトレーニングをして縦走に備えた。例え南ア全山縦走まで挑戦できなかっらとしても、他の山域(大雪縦断等)で有終の美を飾るつもりでいた。というか南ア全山縦走までは大学4年とあって当初できないと思った。ただ体重の方が・・・・・、昨年の時より約7kgも多いのが気がかりであったが、結果はオーライなので今回は良しとしておくか。更に5kg、10kg増えていたら少なからず影響は出ていただろう。次の夢のためにより痩せて完璧なボディを作らなければ、大いなる課題と言っても良いだろう。

 食料はほとんどフリーズドライとした。又、昨年よりもα米の比率が高くなってしまった。費用の削減と言えばそれまでだが、昨年より経済事情が悪かったのだ。それだけに貧相な食事になったのは否めないが、何とかなった。装備の方だが衣類は下着を中心に減らした。速乾のTシャツを常用する事で達成できた。それだけに風呂(山中にはほとんどない)、少なくとも水浴びした方が良かったかもしれないが。テントはまさにあの大雪のときとは違う。ゴアテックス素材で1.6kgと軽量だ。あれだけの食料・装備を持つのだからザックは100l。それでももう少しスペースが残っていた。

 ペース配分はあれだけの日程でありながら初日以外は少なくとも1日行程となり、更に目安歩行時間が11時間以上の日も出た。9時間以上も少なくない。特に2日目は11時間行程を頑張って行くか途中で泊まるか計画する時に悩んだものであった。かなりきつい配分となったが、そこは体力で何とかカバーできた。ただ最終日の寸又川林道は当初計画に入れていなかったというか、避けていた。だがやらねばならなくなったため、ここも余力で解決した。コースはすべて尾根通しとした。昨年はごく一部尾根通しでなかった箇所(栗沢山〜駒津峰、三峰岳〜三国平)もあったが、今回は折角やり直したのだから昨年歩かなかった所もすべて尾根通しとした。昨年も仙塩尾根を仙丈岳〜三峰岳をしっかり歩いたのだからいい所まで行っている。詰めが甘かったといった所か。ただ蝙蝠岳は今回もカットしてしまった。これに登ればより完璧になった所だろう。9日目に会った全山縦走者の川口さんはしっかり登ったという。それでも全山縦走を達成したのだから良しとしよう。

 天候は北の方に梅雨前線が停滞していたのが曲者だが、南アルプスは全体的に安定していたと言えよう。5日目の晩〜6日目の午前中に雨にやられたり(2日目の終盤のごく一部も)、10日目から天気が下り坂になったりしたもの、停滞を1度もせず光岳まですべて予定通りで行われた。5日以上の縦走(昨年の南アを除く)で日程が遅れずに終えたのは初めてと言える。天気の流れから見て今回の日程の取れ方は良かったと言えよう。4日〜1週間出発が遅れたならば、昨年の様な事をぶり返していたかもしれない所だろうか。現に川口さんは悪天に長く阻まれ、苦行の続く縦走となってしまい、結局18泊19日かかってゴールの夜叉神峠登山口に着き、全山達成した。

 この様な大縦走は今天気が良いからとすぐ行ける程気軽なものではない。準備するのに前々から、計画を入れれば数ヶ月前いや年単位にも及ぼう。そんな前から実際行われる日程の天気を読むのは難しいものだ。私も昨年の台風には懲り、新聞の天気図を集めて傾向を読もうとしたものだ。この問題は本当に難しいが、台風が多い年は大縦走を諦めるという風な読みと行動で努力するしかないのか。

 とにかく今回の縦走は異例づくしと言えよう。単独縦走の規模からしてそうだし、大学4年にしてあれだけの縦走を行い、それがこれまでにない規模のものとなった。又、ほとんど1週間行程の縦走をやり直したのもそうだ。昨年全山縦走の北半分の6日間を行った。それが台風で流れてしまい、今回やり直した。それも2年連続でやってしまった。そしてあれだけの縦走でありながら1日も停滞せず、遅れなかった。これは体力だけでは達成しえない。天気が長く安定していなければできない事である。1つの縦走で「日本百名山」10座も登頂したのも大きい。これだけ登頂できるとすれば、他は北アルプス位だろう。そしてこの10座すべてにおいて「ザック挙げ」を行った。もっとも寸又川林道の長さも異例と言えよう。これまで林道・車道歩きはあったが、すべて半日未満であった。それが約40kmと丸1日である。それで目安歩行時間が13時間を超えてしまった。こんな長さの1日行程は最初から計画には立てなかっただろう。もしこの林道歩きを計画に入れるなら2日間に分けていた所だ。

 意外と多かったのがハプニングであった。腕時計のゴムバンドが途中で切れてきたり、仙丈避難小屋の水場が涸れていたりした。だがこれらを絶妙なタイミングで切り抜けた。それにしてもほとんど1週間の行程をよくやり直せたものだ。この長さは大雪主脈縦断のルート(十勝連峰〜トムラウシ山〜表大雪)と同等以上と言えよう。そう簡単にできるものではない。大学時代に南アルプス全山縦走を是が非でも完結させたい、即ち「単独縦走の限界に挑戦する」という一貫したテーマに対して明確な答えを是が非でも出したかったのであった。それだけ大きなエネルギーを発生させえたからこそ達成できたと言えよう。それから何年か時間が経ったらここまでエネルギーは出せただろうか。水場が涸れていたので疲れた体に鞭打って馬ノ背ヒュッテへ水取りに行けたのもこうしたエネルギーの成せる技か。

 今回は全山縦走の後に奥秩父の両神山にも足を伸ばした。これで「日本百名山」は40座達成となった。標高は2000mを下回るもの、鎖場があったりして登り応えがあった。又、秩父鉄道沿線でSTB(ステーションビバーク)を行った。これは意外と使えそうである。時間はかかるが、東京での宿泊費をカットするのに使えるだろうか。今回はやはり大学4年とあって夏休みも3年まで(これは長過ぎる位)に比べてかなり少なくなった。これだけの日程はぎりぎりに近い。それだけに停滞はほとんどできない状態であった。18泊19日なんてとてもできない。最高で15日が限度だった。それだけに悪天に阻まれない様、ひどくても最低限である様に祈っていた。全山縦走達成は神がかりだったのだ。

 今後縦走を行うならやはり北アルプスだろう。焼岳・穂高連峰〜日本海(’02年達成!)は是非達成したい。又、大雪でも十勝連峰〜表大雪(’00年達成!)も改めてしっかり行いたい所だ。そして将来、日本海〜北アルプス〜八ヶ岳〜南アルプス〜太平洋とをつなぐ日本列島横断山行に発展するのだろうか。その可能性をも示したのがこの南ア全山縦走だった。日本の二大アルプスをつなぐ日本列島横断。達成はいつになるかわからないが、ロマンがある山行だ。他にも色々可能性があるだろう。更には海外にも・・・・・。

 この南ア全山縦走は大学時代最後に達成した有終の美であり、何より「単独縦走の限界に挑戦する」という一貫したテーマに対し、一つの明確な答えを出した。山そして縦走にこだわった挙句金字塔を打ち立てる事ができた。又、夏山縦走としては北アの岩稜と共に一つの到達点とも言われている。当時としてはこの時に下手な就職活動を行うよりよっぽど良いと思った。成功できる確率はどちらが上かはあまりにも明確である。すべての企業に落ち、「あの時南ア全山縦走をやっておけば良かった」と自分なら言うに違いない。あと半年間卒研に打ち込み、卒業を勝ち取れ!

※98年大学在学当時の記述がございます。





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