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地図2 3D図1 3D図2 3D図3 断面図



8月9日(中岳避難小屋〜悪沢岳(東岳)〜中岳避難小屋・荒川中岳〜荒川小屋〜大聖寺平〜赤石岳〜百間平〜百間洞露営地) 天候:晴後くもり
<縦走8日目悪沢岳往復、南部主稜線を闊歩し雄峰赤石岳へ>


 夜半風が強かった。3:30に起きたが、起きているのは管理人さんと前日話をした宮城の若い女性だけだった。朝飯は鮭茶漬とした。4時頃に管理人さんにストーブを点けてもらったが、周りの方々は依然として起きて来なかった。4:30頃になってようやく起き出してきた。宮城の若い女性は早くも出発し、悪沢岳へと向かって行った。小屋の外に出てみると、天気は穏やかで悪沢岳はもちろん富士山も望めた。又、外では三脚を立てて撮影している男性もいた。ザックを背負い、5時に出発、緩い岩礫帯を下って行った。下り切ると尾根がやせている所があり、注意して行った。そして悪沢岳への登りとなった。ジグザグに登って行くが、そのうち岩場となり、一歩一歩慎重にたどって行った。それを一登りすると緩やかになり、頂上は近くなった。

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 5:50に南ア南部最高峰の悪沢岳(東岳)の頂上に着いた。本縦走初の「日本百名山」新規達成であり、36座目となった。昨年台風がなければ南ア全山10座中9座を総なめする新規達成であったが。頂上標識は間ノ岳と同様のユニークなもので、そこには「悪沢岳」と書いてあった。地図上では「東岳」だが、「日本百名山」本書にもある通り岳人達の間ではやはり「悪沢岳」の呼び名が正しいのか。ここでも360度の大展望が迎えてくれ、特に荒波を思わせる雲海に浮かぶ富士山は圧巻だった。南部の主稜、中岳や赤石岳はもちろん更に遠くの上河内岳や茶臼岳も望めた。そして南部主稜に対して東側に平行している白峰南嶺で、双耳峰で目立つ笊ヶ岳や布引山も望め、更に北部の山々や中央アルプス、そして北アルプスも望めた。

 千枚岳方面から2人の男性が来た後に大勢の登山者が来た。彼らは年配の男女総勢10人位になるものだった。彼らが到着し、彼らのうちの1人に写真を撮ってもらい、やはり「ザック挙げ」を行った。悪沢岳の往復にわざわざザックを背負って行ったのは甲斐駒の時と同じ訳である。彼らにも写真を撮ってあげたが、ある男性が「正月用の写真だな」と言ったら、ある女性が「葬式用の遺影かな」と言った。そして別の女性が「皆悪沢岳なら私は赤石岳だな」と続いた。写真を撮り終わり、彼らは中岳に向かった。

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 6:20に出発し、中岳を望みつつ戻って行った。下りの途中前日小屋で会った寸又川林道から来た男性とすれ違った。下りから登りへ切換わる所で、先に行った大集団が休んでいて1人がオレンジを切っていた。休んでいる彼らを抜かし、中岳目がけて登って行った。小屋が見えてくればあともう少しとなり、ほっとする所だ。7:10過ぎに小屋の前を通り過ぎ、約4分後に荒川中岳の頂上に戻った。振り返ると悪沢岳が望め、前方に頂上部の緑が剥げている赤石岳が望めた。休んでいる間に例の大集団が来たが、彼らはほとんど休まず通り過ぎた。

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 7:30過ぎに出発、北部方面との分岐を過ぎ、尾根の東側を巻きつつジグザグに下って行った。そうするうちに前方に赤い屋根の荒川小屋が見えてきた。赤石岳の東側からガスが昇ってきた。私が着くまでにはガスが昇り切るのだろうか。例の大集団を前方に見つつ、私は進んで行ったが、荒川小屋手前の水場で水補給のためストップした。8:15だった。縦走路のすぐ脇で水は豊富に流れており、冷たく旨かった。10分後に出発、尾根をトラバースしつつ下ると8:30過ぎに荒川小屋の前に出た。新しい小屋の脇にあるテーブルの前で、例の大集団は休んでいた。左手下の方には青い屋根の古い方の小屋があり、その周辺にはテントサイトがあった。

 小屋を過ぎると少しばかり急登があり、そして尾根の東側を巻く緩やかな道に戻った。更に行くと尾根が一気に広くなった大聖寺平に出た。9:10過ぎに小渋川からのコースとの分岐を過ぎた。このコースは沢沿いのコースの上にアプローチが長いルートで、逃げ道としては使い辛いだろう。いよいよ赤石岳への登りとなり、ジグザグに登り始めた。辺りは緑少ない岩礫帯で、まさしく南部の荒々しい景観か。中年女性4人ばかりが下りて来て、私のザックを見て「大きなザックだ」とおもむろに言った。

 9:30過ぎにダマシ平で休憩とした。振り返ると大聖寺平の向こうに荒々しい荒川岳が聳えていた。又、荒川小屋で休んでいた例の大集団が列を成して向かっているのも見えた。ジャージの上衣を脱いでザックの後ろ側に括り付けた。10時近くに出発、更に登って行った。途中愛知大WVの男ばかりの8人パーティーが下って来た。そして小赤石岳の肩に出て少し行くと10:30過ぎに小赤石岳の頂上に着いたが、何もないので通過した。緩く下って行くと赤石小屋や椹島方面の道との分岐に着いた。いよいよ赤石岳への最後の登りとなった。ガスが流れているが、時折薄くなったりもした。昼近くなると必ず昇って来るのが厄介な所だ。

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 11時過ぎに南ア南部の雄峰、赤石岳の頂上に着いた。これで37座目の百名山となった。頂上標識は何と悪沢岳と同様だった。更に高さ2m以上ある大きな標識もあった。頂上より100mばかりしかない所に赤石岳避難小屋があった。これも建て替えられて高山裏や荒川中岳の避難小屋と同様の営業体制だろうか。後でわかったが、やはりそれらの小屋と同様の料金であることがわかった。私が頂上に来た当時は頂上には25人位で、小屋周辺には10人位いて賑わっていた。そして高校や大学のパーティーも目立った。

 丁度昼飯時で、梅干茶漬飯を食べた。ここでもやはり「ザック挙げ」を行い、写真をとってもらった。小屋の方にいる学生の中には上半身裸になった者が数名いた。裸の学生が「芝浦工業大学ワンダー、工学部機械工学科1年○○」という具合に1人ずつ叫んでいた。そこの部の伝統なのか、体育会系のノリか。やがて例の大集団、男性4人女性6人もの中年部隊が来た。彼らの1人が写真を撮ってくれるといい、私は大きい方の標識の前で「ザック挙げ」のポーズをとると、「無理すんなよ」とか「腰悪くするぞ!」とか言われた。彼らにも写真を撮ってあげた。彼らは椹島へ下るといい、彼らが出発して別れる時に「無理すんなよ」と言われたら、私はすかさず「光まで頑張るぞ!」と言った。最後に「気を付けろよ」と声をかけられた。頂上には後から例の愛知大WVのもう1隊が来ていて、こちらは女性も含まれていた。ガスが薄くなった時に聖岳が垣間見えたが、その姿はこちらに迫っていた。

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 12時過ぎに出発、ガスのために展望が充分ではなかったが、山頂を後に更に南へと進んで行った。ここを過ぎれば薊畑(あざみばた)に着くまで逃げ道としてつかえる道はほとんど無いと言っていい位だ。さしづめ「セミ『逃げ道の無い長丁場』」といった所か。岩礫帯を下って行くが、前方の馬ノ背に年配のパーティーがいるのが見えた。馬ノ背は文字通り緩いアップダウンであり、ガスが切れている時にすっきりと聖岳が望めた。どっしりとした山容で、山名通りの器の大きさだ。前方には百間平が望め、兎岳も望めた。岩礫帯だったのがやがてハイマツ帯に変わった。そして尾根が一気に広くなり、13:15頃にハイマツと池塘の百間平に着いた。先に進んでいた年配のパーティーも休んでいた。そしてそのパーティーの一部が後から来た。私の足もここまで来ればかなりガクガクしてきたか。

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 彼らが先に行き、13:30過ぎに出発した。少し行くと岩礫帯のジグザグな下りとなった。途中、彼らの一部の最後尾に追い着いたが、彼らが「どこから入ったの」と尋ねてきて私は夜叉神からと答え、更にこの縦走の経過と昨年の台風9号でやられた事を話した。すると彼らの1人が「(この)台風で塩見(小屋)で4日もカンヅメにされた」と言った。あの台風はやはりそれだけ強力でやっかいなものだったと改めて思い知り、「ついてなかった」と諦めざるを得ないと感じた所だった。そして彼らの別の1人が他のメンバーに「彼なんて夜叉神から来たんだよ」と伝えると、私は「私は昨年の怒りと(全山縦走を達成すべく)夢をこの縦走でぶつけました」と言った。そうした所、「凄い根性だ」と言われ、「いいみやげ話になった」と続いた。最後に私は「あとは聖と光」と締めた。下り切ると樹林帯となった。

 そして縦走路沿いにテントサイトがいくつも点在している百間洞露営地に早くも14:10に着いた。左手には小屋も望めた。テントを張る場所を決めるとザックを置き、ジャージの上衣を石の上に干した。この時間にこんなに晴れたのは久し振りだ。水取りのついでに小屋に行ってみた。百間洞の沢沿いに2・3分下った所に百間洞山ノ家が建っていた。地上3階地下1階建ての立派な小屋で、前にある木のベンチで登山者たちがくつろいでいた。小屋の横を通って後ろの方に出た。道は沢沿いにまだ下の方まで続いている様だった。旧山ノ家への道だろうか。小屋の後ろの方にトイレへの入口があった。更に中に入って初めて男女別のトイレの入口となるが、トイレはきれいで大便器は何と水洗になっていた。小屋の中からでも行ける様になっているみたいだった。小屋の入口のそばにある受付には料金表があり、宿泊2食付7500円、素泊り3500円だった。幕営料は書いていない上に幕営地が小屋から離れているのでタダという事だろう。

 来た道を戻るが、縦走路近くの沢沿いの道沿いにもテントサイトが点在していた。沢のできるだけ上流の所で水を汲んだ。水は冷たく旨かった。自分の場所に戻ってテントを建てた。晴れているので5〜6日目に雨で濡れたテントも乾いていく。そして乾かしたジャージを着た。登山者が次々とテントサイトに来た。その中には椹島から来たという男性もいた。聖平から来たというパーティーもいたが、表情や様子が辛そうだった。夕方にはガスがここまで下りて来た。夕食は牛飯と味噌汁、そして寒天海藻サラダとした。こんなに早く到着して時間もあるのだからゆっくり休みたい所である。もう8日も歩いてくたびれたのだし。それでもあと3日もある。この縦走もいよいよ終盤に入る所だ。ここまで来たのだから光まで行くしかない!早くも19:30過ぎに寝た。

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コースタイム(全体はこちら)
時間 地点 コ メ ン ト 高度計
5:00出発
中岳避難小屋 小屋の前から悪沢岳や富士山が望めた。
5:50到着
悪沢岳(東岳) 南ア南部最高峰。360度の展望で特に富士山は圧巻で他にも赤石岳等の南部主稜や笊ヶ岳・布引山が望めた。更に北部の山々や中央ア・北アも望めた。「ザック挙げ」!千枚岳方面から大勢の年配の集団が着た。 計測3170m→
校正3140m
6:20出発
7:13通過 中岳避難小屋
7:17到着
荒川中岳 悪沢岳・赤石岳望めた。悪沢岳で会った大集団が来た。尾根の東側を巻いて行く。 計測3080m
7:37出発
8:14到着 水場 水を補給。水は豊富で冷たく旨い。
8:24出発
8:37通過 荒川小屋 新しい小屋でその脇で例の大集団が休んでいた。古い小屋もある、更に進むと尾根が広くなった。
9:12通過 大聖寺平
(分岐)
右に下れば小渋川だが逃げ道としては使い難いか。いよいよ赤石岳への登りとなる。
9:36到着 ダマシ平 大聖寺平の向こうに荒川岳が望めた。例の大集団が向かっているのも見えた愛知大WVの男性8人下る。 計測2800m
9:58出発
10:36通過 小赤石岳
10:47通過 分岐 左に下れば赤石小屋や椹島へ。最後の登りとなった。ガスが流れてきた。
11:03到着 赤石岳 頂上より100m位の所に赤石岳避難小屋があった。頂上には25人位いて更に小屋周辺も賑わっていた。昼食とした。「ザック挙げ」!上半身裸の学生がいて叫んでいた。例の大集団が来てそして別れた。ガスの合間に聖岳が垣間見えた馬の背からガスが切れた時に聖岳がすっきり望めて百間平や兎岳も望めた。 計測3100m→
校正3120m
12:03出発
13:16到着 百間平 ハイマツと池塘。年配のパーティー休んでいた。岩礫帯のジグザグな下りの中先に進んでいた年配のパーティーに自分の縦走と前年の台風について話して彼らを驚嘆させた。
13:38出発
14:10到着 百間洞露営地 縦走路沿いに幕営地が点在。小屋(百間洞山ノ家)へは沢沿いに2・3分下れば着き3階建ての立派な建物で登山者たちがくつろいでいた。水を汲んで戻ってテントを建てた。夕方ガスが下りて来た。

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行程断面図

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