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8月8日(三伏峠小屋〜烏帽子岳〜小河内岳〜板屋岳〜高山裏避難小屋〜荒川中岳・中岳避難小屋) 天候:晴後くもり
<縦走7日目南ア南部への逃げ道のない長丁場の末南部主稜線へ>


 2:40に起き、外を見ると夜空には月があって星空が広がっていた。まさにあの時とは違う。あの時は台風が来て風はテントを揺り動かす程強く、辺り一面がガスで雨も降っていた。早くも周りはゴソゴソと動いていた。朝飯はわさび茶漬とした。東京の男性は私よりも早く動き、3時代にして早くもテントを撤収していた。そして3:40に彼と別れ、彼は塩川へと下山して行った。トイレは外にあるが、早くも込み合っていた。私もテントを撤収し、4:30に出発、「三伏峠」の大きな標識の近くの分岐からついに東方面へと進んだ。昨年はこの分岐で「ここから東へ進むと南部に行くんだな」と思いながらも台風の前では一歩も進めなかった。こうして今回初めて一歩を踏み入れた。

 三伏峠を出て烏帽子岳・小河内岳を越え、高山裏小屋を経て荒川中岳に至るまで逃げ道が一本もないのである。しかも標高差約700mの急な登りも控えている。このように逃げ道との間隔が丸1日であり、標高差500以上の急坂がある点は大雪のトムラウシ山〜オプタテシケ山〜美瑛富士避難小屋の区間と同様である。私は’94年にこの区間を縦走した。林を抜けると右側がガレている所に出た。ガレの方にはロープが張ってあった。辺りは明るくなってきた。小河内岳も望める様になり、しばらくガレの縁を行くと沢小屋からの道と合流した。いよいよ登りとなり、登り詰めるときれいにすっきりとした富士山が望めた。5:15近くに烏帽子岳の頂上に着いた。前日向かいのテントで光岳を目指すと言った若い男性が先に来ていた。彼によると、「(荒川)前岳の崩壊が激しく迂回路も浮石がある」との事だ。富士山はもちろんだが、北側には塩見岳が望め、更に中央アルプスや北アルプスも望める360度の展望だった。後から別々に2人来た。

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 5:30近くに出発した。ハイマツ帯の中の緩い下りだが、右はガレなので注意して行く。前小河内岳を越えて行くが、この辺りは緩い坂でほんの一調べといった所だ。そして緩い登りを行くが、小河内岳が前方に見えると共に、その左側に小屋が3つだけ見えた。元の避難小屋とプレハブの建物と骨組みだけの小屋があった。そしてぐんぐん登って行き、6:40過ぎに小河内岳の頂上に着いた。小屋は工事中で、骨組みのやつは新たにできるものだろう。プレハブは現場事務所の様だ。富士山は相変わらず良く見え、東の方に蝙蝠岳が望めた。蝙蝠岳は支稜線上のピークだがあまり目立たない山容だった。だが支稜線上にあるだけに晴れればそこから最高の展望が期待できる所だが。光岳を目指す男性も来ていたが、彼は前日悪天候で停滞していたという。確かに午前中は天気が悪かったが。

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 7時過ぎに出発、少し行くと急なジグザグの下りとなった。前方にゴツゴツした支稜線が望めて気になったが、大日影山からのものだろう。下り切ると樹林帯となり、アップダウンが少なくなった。男子学生10人パーティーが向かって来たが、彼らは高山裏避難小屋を朝発って来たという。今度は緩い下りとなった。途中3人組の男性が向かって来た。そして下り切ると突然視界が開け、右側がガレている所に出た。ガレの縁を進んで行く途中、大日影山のゴツゴツした山容が望めた。大日影山への支稜線の派生した地点を少し過ぎた辺りで8:20過ぎに休憩した。前方には板屋岳の緑に覆われたポコっと出たコブが望めた。そばには水が満たされた500mlのペットボトルが置いてあった。誰かが忘れたのだろうか。

 8:40近くに出発、7人その後に3人の男女学生パーティーが向かって来たが、前の方にいる女の子が「食えっ食えっ食えっチョコボール♪」と10年以上前にテレビでやっていた森永チョコボールのコマーシャルソングを歌っていた。こんな険しくかつ奥深い所でよくやるものだ。元気を出しているのだろう。再び樹林帯に入って緩い登りとなったが、道が狭い上に左側が急斜面になっていて足元が不安定になりがちだ。その後に2人の外国人男性に抜かされた。彼らの話は前にチラッと聞いていた様な。それにしても足が速い。パワーが全然違う。小河内岳で会った人の1人が途中で休んでたばこを吸っていた。緩い坂を登り切ると今度は右側がガレていた。そこを過ぎると再び樹林帯となり、更に登ると緩やかになり、ちょっとした広場で休憩に適した所に出た。場所で言えば板屋岳直下だろう。

 右側に踏み跡があった。恐らく板屋岳に行く道だろう。ザックを置いてたどってみた。踏み跡は狭い上に木々をかき分けて進む程だがすぐに頂上に着いた。頂上は木々に囲まれて立っているのがやっとの広さな上、展望も利かなかった。それでも木に「板屋岳」と書かれたプレートが付いているので頂上とわかった。三脚を立てるのが大変だったが、何とかセルフタイマーを使って自分の写真を撮った。途中でたばこを一服していた男性も来て休んだ。彼が来て更に10分位してから光岳を目指す男性も来た。私が農鳥岳で見た鳥について尋ねた所、やはり雷鳥だった。9:40過ぎに出発、緩い下りとなった。私の後ろに一緒に休んでいた2人が来るが、特に前側である光岳を目指す男性は私のすぐ後ろで、私との距離がおよそ20mの所をぴったりと付いてきていた。少し行くと再び右側がガレとなった。ガレから離れて急登を登り詰めて小ピークを越え、緩い下りとなって再び右側がガレた。そしてガレから離れ、尾根から外れた様にジグザグな下りとなって一気に下って行った。そして赤い屋根の小屋が見え、「近い」と思った。

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 10:20過ぎにようやく奥深い所にある高山裏避難小屋に着いた。このあたりはお花畑の草原で、開けていて日が当たっていた。到着する時年配の管理人さんがいきなり「荷物が落ちそうだぞ!テント張るのかい」と言った。私は更に先を行きますと答えた。ここまで光岳を目指す男性は私のすぐ後に付いて来ていた。彼の後ろに付いて来ていた男性は数分後に着き、600円のビールを注文した。小屋は小さく中は暗くてよくわからなかったが、トイレはしっかり陶製の便器で意外ときれいだった。テントは500円だが素泊りは3500円で、避難小屋といっても無人のものとは違って営業小屋とほとんど同じだ。小屋の前で鮭茶漬(の素を入れた)飯の昼食とした。ここから荒川中岳と前岳が望めた。光岳を目指す男性の後から来た男性は、小河内岳の小屋から来たという。彼はその前日に三伏峠まで登ったといい、小河内の小屋から水取りに行ったがちょろちょろしか出ていなかったとも言っていた。

 ここの管理人さんについては、実は昨年の南ア縦走で6日目に会い一緒に下山した男性から聞いていた。口うるさいので気をつける様にとの事で、その評判や苦情が山と渓谷に載ったこともあったという。更に付け加えるが、本縦走9日目に出会う全山縦走者川口さんの山行記録によると、「ストックを持って来る様な奴は山に来る資格はない」と言い放ったそうだ。これには驚いた。もし昨年の台風の時にここまで来たならば、こっぴどく怒られていたかもしれなかった所だろう。それに比べて今回は大した事ない方なのだろうか。

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 11:15過ぎに出発、光岳を目指す男性が先頭に立ち、私が後を付いて行った。テントサイトは道沿いに番号が順次付けられており、区画されていた。どんどん下って「水場」と書いてある方へ進んでしまい、最後の番号である27・28番のテントサイトを過ぎても尚進んでしまった。沢や滝の音がして急な下りとなり、2人は止まった。光岳を目指す男性が地図を取り出して見てから「沢沿いに下るはずがない」と言うと、私は「これは違う、戻ろう」と言った。戻ってテントサイトの「No.16・17」のそばに「荒川岳」と書いてある標識があった。丁度「水場」の標識の近くで、見落としてしまっていた。しかし彼は「左足の調子がおかしいので様子を見る」と言い、彼は小屋の方に戻る事とした。彼と別れ、私1人で南部主稜線への登りに挑む事となった。そして小河内岳の小屋から来た男性が後から来た。いきなり急登だったが少し登ると緩やかなトラバース道となった。

 12時頃に道沿いにある水場についた。管の先から水が出ていて冷たくて旨い。逆コース(北上)で来た時は小屋から約5分下った所ではなく、ここで汲む様にすると良いというアドバイスも聞いた。若い男性が向かって来たが、彼は光岳から来たという。彼は「甲斐駒まで行ければ」と言い、沢登りをやっているとの事で、「鋸岳を抜けて行きたい、ダメなら鳳凰」と言った。私と同じく全山縦走を目指しているという事で、エールを送り合った。又、彼は易老渡から入ったといい、林道歩きが長かったとも言っていた。コースタイムで4時間といった所だ。彼も私と同様大きなザックだったが、サイドポケットの付いたいいやつだった。南部主稜線上の荒川中岳避難小屋には水がないと思い、すべての水筒を満タンにした。又、彼は荒川中岳の小屋は小さいのでやめた方が良いとも言っていた。が、私はとりあえず泊まり場の予定を変えないつもりでいた。荒川小屋まで行ってしまうと悪沢岳の往復がより長くなり、行動時間にある程度の余裕を持たせたかったからであった。

 12:20過ぎに出発、途中2本の鎖のある鎖場を越え、しばらく足元に石のあるトラバース道となった。丁度トラバース道から本格的な登りに切り替わる所で13時頃に一旦休憩としたが、前方に南部主稜線が望め、いよいよ最後の登りだと感じた。振り返ると今日たどってきた稜線が望めた。13:20に出発、まずは直登から始まった。1人の男性が下りて来てから今度は4人の男性が下りて来た。周りはガスってしまった。登り詰めると岩礫帯となり、ジグザグの急坂となった。岩には所々ペンキ印が付いていた。この登りはかなり応える。だがここでの一踏ん張りでいよいよ南部主稜線に立てるのだ。

 14時を回り、30分もの大休止をした。そこで心を落ち着かせ、態勢を整えた。この地点では高度計が2810mを示しており、南部主稜線は近いと思った。そして一気に登って行った。登り詰めると右側が大きくガレている所に出た。左側に作られた巻き道をたどるが、道は狭くて思わず張ってあったロープにつかまりそうだ。前岳を巻いていよいよ南部主稜線に立った。コースは稜線のやや東側を取っている。15:30過ぎに分岐に着いた。右に行けば赤石岳方面であり、翌日たどる道である。ようやくここまで来る事ができた。昨年の台風の時に来ていたならば、前岳のガレ付近が危険だっただろう。それに稜線はもの凄い風の上にガスっていてにっちもさっちもつかなかった所だ。少し行くと男性2人が来て、その少し後に別の男性2人が来た。後の方の男性から「どちらから来たんですか」とか「今日は避難小屋ですか」と尋ねられた。ガスってはいるもの、風は弱く雨は降っていなかった。

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 最後に一登りして15:40過ぎに荒川中岳の頂上に着いた。小屋まであと僅かとなった。すると頂上付近のガスが晴れてすぐそこに小屋が見えた。小屋は高山裏小屋の様な三角屋根の小さい小屋だった。頂上から小屋までは岩礫帯を2・3分行けば済み、16時過ぎに荒川中岳避難小屋に着いた。これで三伏峠〜荒川中岳の「逃げ道のない長丁場」をクリアしたが、南部は逃げ道も長い。その区間にはいわゆる「おばちゃん」はいなかった。小屋には管理人さんであるおじいさんの他に14人いた。この縦走において7泊目にして初の小屋泊まりとなった。このようにテント泊を多くしたのはやはり高い宿泊費を削って経費を削減するためであり、北海道や東北とは事情が違うのである。

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 小屋の申込をし、素泊り代3500円を払った。料金は更に寝具1000円、ビール600円、カップヌードル600円、ククレカレー1000円であり、高山裏小屋同様である。避難小屋というだけあって食事は作ってもらえないが、経営している会社が高山裏小屋と同じであり、性格はほとんど営業小屋といえよう。ちなみに赤石岳避難小屋も同様であり、近年小河内岳避難小屋も完成してからそうなったという。又、ここはキャンプ指定地がない。岩礫帯であり、場所が場所である。千枚岳〜二軒小屋の区間は登山道崩壊の箇所があるため通行止めとの事だった。そのため今年は二軒小屋の宿泊客が少なくなっているとか。

 小屋の1階で休憩・調理・食事を行い、2階で寝る事となっている。私は奥の方に場所をとった。1回奥の部屋は物置となっていて、食料等が置いてあった。私の隣に若い女性がいたが、彼女は前日三伏沢小屋で泊まったという。北岳からここまで到達し、いずれは光岳まで行くという。三伏峠のテントサイトでテントが向かいだった若い男性もそうだった。なかなか凄い事をやるものである。彼女は宮城県から来たという。私は自分が北海道出身で、北海道の話をし、夢を語ったら彼女に「自分のふるさとを自慢できるなんて羨ましいですね」と言われた。そばにあった石油ストーブを管理人さんに点火してもらい、暖まった。

 17:30頃に小河内岳の小屋から来た男性がようやく来た。南部主稜線の登りがさぞ辛かった所か。結局光岳を目指す若い男性は来なかった。晩飯はチキンライスと寒天海藻サラダとした。向かい側にいた年配の男性の1人は寸又峡温泉からの長い林道歩きの末に登山口の柴沢まで行き、そこから光岳に登って聖岳・赤石岳、そしてここまで来たという。彼は「寸又峡から柴沢まで頑張っても丸1日かかった」と言い、「(光岳に行くのに)一番いいのは畑薙のルート」と言う。その寸又峡温泉〜柴沢の長い林道歩きを結局行う事となるが、当時の自分は知るよしもなかった所だ。夕食の時間の頃は向かいも含め、大宴会の様相だった。それでも20時前には静かになって、皆2階に上がって寝る態勢となり、私も2階に上がって寝袋を敷いて寝た。寝床はかなり込み合っていた。



コースタイム(全体はこちら)
時間 地点 コ メ ン ト 高度計
4:30出発
三伏峠小屋
(テントサイト)
いよいよ南部への一歩を踏み出した!右側はガレで小河内岳が望めた。
5:14到着
烏帽子岳 すっきりと富士山が望めた。光岳を目指す男性は既に来ていた。360度の展望で塩見岳や荒川三山も望めて更に中央アルプスや北アルプスも望めた。後から2人来た。
5:26出発
6:41到着
小河内岳 頂上東側の小屋は工事中でプレハブの現場事務所があった。富士山や南部の山々はもちろん東の方には蝙蝠岳も望めた。光岳目指す男性もいた。下りきると樹林帯に。男子学生10人パーティーや3人組の男性が向かって来た。
7:06出発
8:21到着
大日影山分岐南 突然視界が開けて右側はガレとなる。大日影山の尾根はゴツゴツしている。小河内岳で休んでいたメンバーが各々到着した。前方には板屋岳のコブ。500mlの水入りペットボトルあり。10人の男女学生パーティーが歌を交えて来た、外人男性2人に抜かされた。
8:39出発
9:13到着 板屋岳入口 ちょっとした広場。踏み跡をたどってすぐに頂上に着いたが狭く展望が利かず。1人の男性が来て更に10分位で光岳目指す男性が来た。再び右側がガレとなった。 計測2610m
9:41出発
10:21到着 高山裏避難小屋 お花畑の草原でそこだけ日が当たっていた。管理人さんいきなり「荷物が落ちそうだぞ!」、料金は営業小屋並。光岳を目指す男性の後から小河内岳の小屋からの男性(板屋岳では光岳の男性より先)が来た。昼食とした。出発してから光岳を目指す男性の後についていくが水場方面へ下り過ぎた。戻って荒川岳方面の分岐に来た所で彼が足の不調を訴えたため彼と別れた。
11:16出発
12:01到着 水場 道沿いにあり冷たく旨い。反対側から全山縦走目指す男性来てエールを送り合った。すべての水筒を満タンにした。途中2本の鎖の鎖場あり。
12:24出発
12:59から 休憩 ここから本格的な登りに切り替わる。ガスってしまった。岩礫帯の登り。
13:20まで
14:16から 休憩 態勢を整えた。登り詰めると右側が大きくガレていて不安定な迂回路を通過する。 計測2810m
14:42まで
15:36通過 分岐 コースは稜線のやや東側、風弱く雨はなし
15:42到着
荒川中岳 ガスが晴れてすぐそこに小屋が見えた。 計測3045m→
校正3080m
16:00出発
16:03到着 中岳避難小屋 本縦走初(で唯一)の小屋泊り。料金は高山裏小屋同様。千枚岳〜二軒小屋は通行止め。小屋は15人程。宮城の若い女性(光岳目指す)と話す。石油ストーブも点火。17:30頃に小河内岳からの男性がようやく来た。晩飯とした。向かいにいた男性は寸又峡温泉から来たとか。

3D図2
行程断面図




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