屋根から尾根へ〜縦走への挑戦〜 www.yaneone.com
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感想

 史上最大、空前絶後の単独大縦走、しかもゴールが日本海とすべてにわたってとにかく凄いスケールの縦走だった。この縦走に対抗できる縦走はやはり南アルプス全山縦走だろう。2大アルプスのそれぞれを代表する主脈縦走として縦走歴において2本柱となるであろう。7・8年前私が大雪の縦走に燃えていた頃、山と渓谷で「北アルプスリレー大縦走」という記事があった。そのゴールはやはり日本海親不知海岸だった。それが大いに刺激となり、「大雪からアルプスへ」、それぞれの主脈縦走の構想が立つきっかけとなった。今回は停滞を入れて24日間と自己最大となった。すべて順調に行って17日間の行程は南ア全山縦走の約1.5倍のスケールであり、とにかく「やり直したくない」という気持ちが強かった。ここまで規模が大きければそう簡単にはやり直せまい。それで停滞約1週間となってでも何とか1回でやり遂げ様と思った。もちろんここまで停滞したのは初めてである。

 今回は南アルプス全山縦走にはない難所も多々あった。特に西穂〜奥穂山稜は最難の一般ルートであり、ガイドブックでは「岩登りルート並み」と書かれていた。それゆえこのコースの通過が大きな問題であり、縦断縦走は南アルプスを先にした程だった。西穂〜奥穂山稜はアップダウンが凄い上に険しく、ザックをできるだけ軽くする事がセオリーである。しかし史上最大の単独縦走ではザックが最大限重くなるのでそれとは逆行する形となる。当初はその区間を縦断縦走に含めるかどうか迷ったものである。とはいえ、そこを通らずして北ア主脈完全縦断にはならない。ネットで調べてみると結構縦走されている人がおり、その記録を参考にしたり、「秘境の縦走路」を読んでみたりした。そうしてみるうちに結局は行う事とした。他にも大キレットや船窪乗越付近・八峰キレット・不帰キレット等の難所があったが、それらは鎖やボルトだけではなくハシゴも設置されている。その点西穂〜奥穂は鎖のみでそれも充分とはいえない状況であり、やはり難所中の難所をほしいままにしている。

 98年に達成した南アルプス全山縦走ではあるが、とにかくそれは度重なる挑戦の繰り返しでもあった。つまり「やり直し」の繰り返しである。夜叉神峠登山口は実に3回スタートし、鳳凰三山にも3回立った。甲斐駒ヶ岳〜三伏峠にある山はそれぞれ2回立っている。大雪横断縦走を達成してからアルプス縦断縦走の構想を打ち出し、そして南ア全山縦走の計画が立った。だがそれは達成まで時間がかかってしまった。95年に初めて挑戦したが、あまりにも体力的に不甲斐なく、鳳凰三山・早川尾根を縦走した所で甲斐駒ヶ岳にも達せずに断念した。達成の前年である97年にも挑戦したが、今度は行程の約半分の三伏峠まで行った所で大型台風が接近、結局断念してしまった。それでも北部全山やった事となり、南部をやれば南ア全山をやった事となるが、大学時代の最後に懲りずに再挑戦し、ようやく達成する事ができた。

 今回は初の北アルプス縦走でもあった。何と初めてにしていきなり主脈全山縦走達成となった。これまで南アは全山縦走を達成したが、北アは一度も行った事がない状態であった。もちろん大学時代もそうであり、大学時代は南ア全山縦走達成に全力を尽くし、結局北アはお預けとなってしまった。それで「北アはまだ」という印象は拭い去れなかった。「北アはまだですか?」とよく聞かれたものであった。北アを代表する穂高岳・槍ヶ岳・白馬岳(左から順に43・44・50番目)等が、百名山達成最後の山としてしばしば登られる日高山脈の幌尻岳(33番目)や南ア最南端の光岳(39番目)よりも百名山の達成が後になるのだから。ようやく忘れていた宿題を片付けたという感じでもあった。

 更に南ア全山縦走から4年が経っており、ようやく着手したという感が強い。南ア全山縦走を達成してから大学を卒業し、札幌に戻ったがなかなかうまく就職にはこぎつけられなかった。それでも00年には十勝連峰〜表大雪の大雪縦断縦走を達成、更には就職を決めた。だがそれも3ヶ月で破綻、またしても人生の歯車が狂ってしまった。前年は夏のアルバイトが終わってからこの縦走を実行しようと思ったが、今度は運送屋のオヤジに騙され、結局山と引き換えにタダ働き同然の労働を強いられた。今年はとにかく「同じ事は繰り返したくない」と言う気持ちが強かった。今年の夏も同じ所でアルバイトしたが、さすがにオヤジには騙されず、予定通り8月下旬出発にこぎつける事ができた。札幌という事もあり、本州には遠征するには遠く、なかなか行けなかった。今回は札幌を出発点とした初めてのアルプス縦走とも言えた。

 体の方はトレーニングしてきたが、減量が全くうまくいかなかったと言ってもいいものであった。これまで縦走のために何度も大減量を行い、そしてリバウンドしてきた。一時は南ア全山縦走目掛けて25kgも減量したが、残念ながら例外ではない。そして00年頃から更に痩せ辛くなった。かつてと同じ事を実行してもほとんど結果が得られない。縦走目掛けての大痩せはできなくなったと言ってもいい位であった。更には01年十二指腸潰瘍が再発し、それでも何とか炎症が治ったが、ピロリ菌除菌がうまくいかず、現代医学では一生薬を飲み続けなければならないと診断された。それで今回は潰瘍体質を克服するのを含め、最終兵器の赤外線温浴装置をも試した。しかし、夏が近づいても一向に体重が落ちなかった。「こうなったら体脂肪を縦走中のエネルギーとして消費する他はない」、あれだけの体重を動かすとなるとおのずとそういう発想となった。

 今回は縦走中に体重が10kg以上も落ちた。縦走でこんなに痩せたのは初めてであり、むしろ痩せ過ぎた位であった。もっとも元々が太り過ぎだからまだまだ体重を落とさなければならないが。00年の大雪ではあまり痩せなかったし、南ア全山縦走も行程が長かったがその割にはあまり痩せなかった。今回は体脂肪燃焼サプリメントを用いた事が大きいのだろうか。下界では全く痩せないのにあれだけ痩せるのはびっくりする位である。これからの課題は何と言ってもリバウンドを防ぎ、体質改善をする事に尽きるだろう。今後体を作っていかなければ生活習慣病にもなりかねないだけに大いなる課題である。

 食糧はやはり大半がフリーズドライで、米はα米がほとんどとなった。それに各種ご飯の素を入れる形となった。「〜ご飯」の様に最初から炊けばそれでおしまいのやつは単価が高く、食費を下げる点でも今回の様にした。又、袋ラーメンやパスタ等麺類も多くした。むしろこちらの方が軽くて安い。又、稜線に水が出ない所が多く、今回は小屋で水を買う事が多かった。そのため水代もかなりの額となった。逆に南アは水が豊富で、宿泊地で水が出ている事が少なくなかった。さすがに「森の山脈」というだけはある。それとは対照的であった。余談だがビールは北アではアサヒが多くて、南アではキリンが多いと感じた。

 天候は前半最初の4・5日間はまれにみる好天が続き、最大の難所である西穂〜奥穂山稜や大キレットを越える事ができた。焼岳・西穂高岳・ジャンダルム・奥穂高岳・槍ヶ岳等で大パノラマを堪能できた。しかし中盤以降天気が曇り出した。ぐずついた天候が続き、停滞も多くなった。進んでもガスっている事が多く、縦走終盤の好天を待つ事となった。最後の4日間は好天が連続し、それで一気にゴールを目指す事ができた。白馬岳でも大パノラマで、これまでガスが続いていたせいか、「白馬で大パノラマが見られれば言う事なし」と思った程だった。だがその最初の日及び前日は冷え込み、霜が下りていた程だった。あれだけ長く、しかも8月下旬〜9月とこれまでにない日程で縦走を行った結果、夏山から冬山の一歩手前まで季節が移っていた。又、日の出が短く日の入りが早いため、行動時間も短くならざるを得なかった。南ア全山縦走の時は朝4:30でも明るかったが、今回は朝5時でようやく日の出が出ようとしている頃だった。

 今回の縦走は百名山新規達成9座と新記録を達成した。これはやはり縦走を1回で達成できた所が大きいだろう。南アでは何回も挑戦したせいか、百名山の新規達成は少しずつであった。百名山達成数は南ア全山縦走では10座でより多いが、二百名山・三百名山となると逆に今回の方が多くなっている。又、縦走中に白馬岳で百名山50座も達成した。南ア全山縦走も旅程中に40座を達成したが、これは縦走中ではなく縦走後に登った両神山で達成したものだった。だがこのお祝いは特別に幕等を作ってはいなかった。旅程後に改めてお祝いするだろう。

 今回もやはりハプニングが多かった。中でも装備が壊れた事が多かった。テントの入口のジッパーがどんどん壊れたり、ゴア雨具の下衣で股の所が破れたりした。その上衣もジッパーが壊れたが、ボタンで留められるので何とかなったが。更にはカメラまでも故障した。カメラは修理から上がったばかりなのに簡単に壊れた。予備のカメラを持っていくべきだったが、何と縦走直前にメインとなるカメラをなくしてしまった。それで代役として今回のカメラを復活させたのだが。そもそももっといいカメラを持って行くべきであるのに、タダ働き等でお金がなく充分にいいものを揃えられなかった。又、今回も多くの人のご好意で様々なものをいただいた。ビールをはじめ、行動食やガスカートリッジもいただいた。更に船窪小屋でカメラを借りる事ができ、後半の写真にも困らなくなり、実に助かった。

 残念ながら登山用具の整備が行き届いていなかったと言わざるを得ない。特に前年は例のオヤジの下でのタダ働きであり自分の時間さえもなくなっていた状態であった。とはいえ、やめてから半年も経っている訳であり、時間はあったはずである。それよりもうまく就職できずお金がなかった事が整備を遅らせたと言っても過言ではない。ただ働けばいいというものではなく、やはり充分にお金になる有意義な仕事をやらなければ意味がないのである。ましてや理工系の大学を卒業したのなら尚更である。しかし状況は非常に厳しく、その様な労働を強いられた。あまりにもひど過ぎるので今後進展してもらいたいものである。

 山小屋は全般的に南アより豪華ではあるが、やはり宿泊代が高過ぎると感じられた。素泊りで5000円以上であり、テント10泊分以上の料金である。それが南アだと3500円になるのだが。それでも今回は1回だけ営業小屋に泊まってしまった。赤牛岳往復もあり、当初はやはり費用削減のため、本来はいけないが赤牛岳の頂上でビバークを考えていた。とはいえビバークも意外と多かった。特に終盤は予定のコースタイムよりかなり遅れての到着が目立った。あと売店での品が豊富でもあった。バッジ等もかなりの小屋であった。お金さえあれば何でもできる風潮すら感じられる。仮にこの縦走をすべて小屋泊まりにしたならば、宿泊費が全部で10万円を越え、総経費が莫大になろう。これでは破産してしまう。南ア全山縦走もテント山行だったが、今回も例外なくそうであり、高い小屋代に対して経費削減を行った。ただ北ア最北端ともなってくると避難小屋中心となり、最後の2日間は避難小屋山行となった。

 今後であるが、北アでは立山連峰〜表銀座の横断縦走だろう。他には八ヶ岳連峰(03年達成)や中央アルプスの縦走もやってみたい。あと関西の大峰奥駈縦走(04年達成)や四国の剣山系や石鎚山系縦走(07年予定)といった西日本での縦走もやってみたいものである。ここまできてもまだまだ縦走すべき所が多く、計画を立てればきりがない位である。





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